そこはかとなく、いじらしく。
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随想:捨てた20代の終わり

JUGEMテーマ:コラム

 

「20代の書く小説はクソだ」

という言葉をどこかで知った。

当時18歳だったと思う。僕がちょうど本格的に作家を目指すころのことだった。

僕の18歳というと、作家を目指すときと同時に、統合失調症になったころでもある。

病んだ心でいい小説など書けるわけもない。

大学のサークルで小説を書いて、批評してもらうところに入った。

そこで原稿用紙15枚くらいのショートショートを書き続けて、いろいろ批評をもらって。

勉強なんてしなかった。講義をサボっては体調が悪くて寝てるか、キャンパスに行っても図書館で文芸誌を読んでるかの日々だった。

大学を卒業して、訪問販売の営業の仕事を始めた。

結果は出せず、3ヶ月の試用期間を経てクビになった。そのあと、1ヶ月職探しをして、介護職に就いた。

6年が経って、介護職から生活相談員になった。生活相談員は、施設の窓口で、施設長の直下に当たる位置だった。

1年と少しやって、心が折れて休職して、いまは復帰して介護職に戻っている。介護職も2通りあって、夜勤をやる介護と夜勤をやらない介護と。僕は後者だ。収入で言えば、都内で働いて手取りで20万いかないくらい。

 

ざっと書くとこんな感じで、いまは残業もないし、夜勤もやらないでいいしでウェイウェイって感じと思いたいけれど、そこは心中複雑で。

新卒で入った会社で結果を出せずにクビになって、次のところでも生活相談員というチャンスをもらいながらも精神がついていかず休職して。

 

僕は健常者じゃないんだな、と痛感した。

 

必死でやってもダメで、薬を飲んでやっと半人前。

それでも自分なりにやってきたけれど、やっぱりダメ。

いま、巷では副業がどう、とか、高収入を得るには、とか、そういう文句が流行ってるけど、それも健常者の話。

5年くらい前に僕も副業でいわゆる「せどり」をやってたけど、そのためのセミナー費やら仕入れの費用やらでカードローンを重ねて、しまいには任意整理をすることになった。

それからは、借金を返しながらの生活で、派遣でバイトをやったり、ガードマンのバイトをしたりして、どうにか食っていった。そのときはモヤシ生活が当たり前で、モヤシが買えない日もあった。本業で入る金を借金の返済や家賃やらでパーになって、可処分所得をバイトで得る生活だった。

そんな折り、昇給の話があって、どうにか生活を立て直すことができたけれど、それでも綱渡りで、貯金なんて夢のまた夢。

で、生活相談員の話があって、昇給こそしないにせよ、夜勤はやらないでいいということでそれなら精神衛生上にもいいかなと、受けることにした。

だけど、それも長くは続かなかった。

結局精神的に追い詰められて、休職することになり、いままで払っていた借金も返せなくなり、いま、自己破産の手続きをしている。

 

休職中思ったことは、勝とうとしちゃいけないんだな、ということ。つまり、健常者と同じ土俵で戦っちゃいけないんだな、ということ。

生活保護を受けて生きていく、ということも考えた。なくはない選択肢ではあるから。

 

20代は「捨て」の人生だと思ってたけど、本当にここまで落ちるとは思ってなかった。一回、仕事も失ったし。自己破産するし。

全部を捨てて生きていたつもりだったけど、それもこれも全部、小説を書くためだ。

小説を書く糧になるならなんでもする。

そういえばかっこいいのかもしれないけど、実際は悪手だったのかもしれない。

こんな馬鹿げた手を張らずとも、精神の安定だけを考えていればよかったものを。精神的に不安定なときは、いい小説なんて書けるわけがないのだから。

 

今年の5月で20代も終わり。

まさかここまで自分が生きているとは思わなんだ。

ここから先は、なにも予定していない。でも、小説を書くことだけは変わらずやっていくんだろうな、と思う。

趣味でもなんでもいい。パソコンさえあればなんでもできる。最悪、紙とペンさえあればなんだってできる。

いままで多方面に向けていたものを、30代は小説1本に集中してやっていくつもり。

 

5月に拙著『毒虫のリヴスコール(改訂版)』と新作『白い革命』をAmazonキンドルで発表予定なのでお楽しみに!

人生は見かけ通り醜いが、あと三、四日生きるには値する。なんとかやれそうだとは思わないか?
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 飲んだくれるときというものは、だいたいが疲れているときだ。そういうときに酒を飲むともっと疲れる。それはわかりきったことだ。なのになぜ飲む? 疲れ果てて寝ちまいたいからだ。そうして喉の渇きで目が覚める。決して良い睡眠とは言えないが、少なくとも遅刻はしないで済む。
 遅刻。なあ、おれたちはそんなものを恐れているのか? そりゃあ他人には迷惑かけるし給料だってさっぴかれる。いいことなんてなにもない。ただ、おれがいいたいのはそういうことじゃない。うまくいえないが、そんなことにケツの穴を縮こまらせてるようじゃダメなんだ。だってそんなんじゃまるで自分はガラクタだといってるようなものじゃないか。自分はカラスにつつかれて破れたビニール袋からこぼれたキャベツの芯だと。自分は夏場の用水路に浮かんでいるザリガニの死骸だと。自分は国道を平気で横切る年寄りが乗ってるチャリのベルだと。
 虚栄ともいえるほどのプライドは邪魔なだけだが、まるで無くしてしまっては生きている意味はない。まあ、なかには死んでやっと人の役に立つような奴もいるわけだが。だとえば? そうだな、SNSやブログなんかで「心が温かくなるエピソード」とやらを広めまくってる奴なんかはそうだろう。ふざけんなって。お前なんかより電子レンジのほうが役に立つっての。心配しないでもこの時代は、この世界は、日本は、同級生は、おれは、そんなさめざめしい生活はしていない。「いまのボクたちには足りないものがある」なんていうようなその喪失感は、とどのつまりお前の心とアタマが空っぽなだけなんだよ。油粘土でも詰めておけよ。
 そうはいってもなにもかもがカリカチュアライズされた環境でなにかをやっていくってのは大変だよ。ただでさえなにかを「やる」ってだけでもしんどいってのに、それを揶揄されちゃたまったもんじゃない。出る杭は打たれることを知りながらもなにかを発信しなきゃ生きられない。
 SNSは心のつながりなんてふやけた耳クソみてえなことを平気でほざく奴がいるが、おれはそんなことは断じてあり得ないという立場を取るね。いくら知り合いにバレてようと、実名でやっていようと、だれしもがスケープゴートを用意してるんだよ。アバターといってもいい。それは完全にキャラを作るという意味だけじゃなく、「あのときはそういう風に考えてたけど」なんて言い訳も含まれる。狡猾な奴はその両方を使い分ける。
 そもそもネットの大前提に「眉に唾をつける」というものがあるということを忘れると痛い目を見るかもしくはバカを見る。疑心暗鬼の世界でどう心をつなげようってんだ。溶接じゃねえんだぞ。
 それなのに、いや、それでもなお、というべきか、ネット上で知り合いにねちっこくくっついていないといられないんだよな。まさに相互監視社会。東條英機もジョージ・オーウェルも、苦虫を噛み潰した表情しかできないわな。
 しかしだからといって、秩序は、良心は、個人は守られているかといえば、決してそうではない。なぜかって簡単だよ。すべては虚構、おもちゃ、絵に描いた餅なんだから。嘘。ウソ。うそ。このいいかたが気に食わないなら、本当のことをいっていない、でもいい。つまりはボタンひとつでハイ、終わり。
 電脳の悪魔は人の心そのものだ。そんななかでうまくやっていくには信じないということを信じるしかない。
 まったく、くそったれな話じゃないか。泣けてさえくるね。こうなってくると現実でさえ必要なくなってくる。足元が3センチくらい浮いたまま生きてるようなもんじゃないか。
 うつし世は夢、夜の夢こそまこと。死ぬなんてことは、夢から覚めるようなものだ。つまりはスクランブルエッグのようにぐちゃぐちゃなんだ。そう、なにもかもが。それを悲観することはない。そうであるならば蜃気楼だって立派な物質なんだから。
 ああ、世迷言に思えるだろう? しかしどうだ? 酒でも飲んでみろ、すぐにこれが現実味を帯びてくる。
 だから飲んだくれるのさ。軋轢に疲れたとき、人は迷う。酔いどれの詩人だけが真理を語るのさ。だが残念ながら、それはおれじゃない。
「人生は見かけ通り醜いが、あと三、四日生きるには値する。なんとかやれそうだとは思わないか?」
 生きるのがバカバカしくなったらこの言葉を思い出せばいい。言葉の意味? それはいままでおれがいってきただろう。つまりどういうことかって? そこまでいわせるのかい。まあ、いいさ。じゃあ、目を閉じてごらん。さあ、君にはなにが見えた?
 つまりそういうことだよ。