空想:くたびれた人のハッピーライフ
2018.02.13 Tuesday
JUGEMテーマ:詩
いつか見た光景を、ふいに思い出した。
それがいつなのか、どういったものだったのか、それはわからない。
しかし、どことなく凪いだ海にそよぐ風のように、どこかしら心がさざめいている。
思い出そうと努めても手がかりがない。かといって放っておくのも心のやり場がない。
それは赤い犬のようだった。
夜更けにのそのそと徘徊する赤い犬。
どこへ向かっているのかはわからない。とにかく、犬は歩き続けている。
一度だけその犬を見たことがある。
寂寥をたたえた足取りで、誰からも愛されたことがなく、必要とされたこともない、ただ生まれたから死ぬまで生きている。そんな印象だった。
生きている価値など誰が決める?生きている意味など誰が知る?
人生に価値も意味も無い。あるのは願望だけだ。
だからこそ人は衝突し、憎み合い、争い、そして愛する。
赤い犬は、誰かを愛したことがあるのだろうか。
世の中は醜いが、それがすべて悪だというにはいささか愛おしい。
窓を開けると凛とした空気が肌を撫でた。私はなにを思い出したのだろう。赤い犬はいま、どこへいるのだろう。
わからない。
死ぬは易いが生きるのは難しい。それも生き続けるのは、至極難題だと思う。
だからこそ、生まれてしまった以上は、その難題に取り掛かり、よりよく生きていくことが必要だ。やれ社交だ、恋愛だ、酒だ、クスリだ、ギャンブルだ、あいつが気に入らない、自分を認めて欲しい、そういう欲望はよりよく生きるには邪魔だろう。
必要なものは、すべて己の頭の中にある。
幸福な人生とは、死ぬよりはマシだと思える程度の人生のことだ。
今日も私は、いつ死んでもいいように、コーヒーとクロワッサンをいただきます。ラフマニノフのピアノに身をあずけながら。